連載小説『ぽとぽとはらはら』5

ぽとぽとはらはら 5
伊神 権太

連載全部を読む⇒『ぽとぽとはらはら』
連載前回を読む⇒『ぽとぽとはらはら』4

5.
   ミチからの思いがけない返事を手にして以降、暑い日が日一日と過ぎていった。
   木曽川河畔のこの町・江南には時折、ひと筋の柔らかな風がふきぬけるようになり、いつのまにか秋の気配が漂いつつある。満はミチから届いた返事の文面を何度も読み返すうち、思い切ってもう一度手紙を出すことを決意していた。でも、どうしてよいものやら。だったら、あの少年時代の自分についてもう一度書いて送ろう。ミチも懐かしく思ってくれるかもしれない。満はそう決心して、再び書き始めたのである。
   文面は次のようなものだった。

「ミチ。ミチさん。美智。思ってもいなかった返事を頂き、心が大きく震えました。私が小学生のころ、大の相撲好きだったことはミチも覚えているかと思います。ずいぶん古い話で、今の若い人たちにはピンとこないかも知れません。
   小学生のころ、横綱栃錦(当時、のちの春日野親方。日本相撲協会理事長。故人)の大ファンだった相撲少年の私は、よく下唇を前に突き出してトチニシキの真似をして歩いたものです。あのころの大相撲は〝栃若時代〟と言われ、一方の横綱でこれまた破竹の勢いだった土俵の鬼 若乃花と対戦するときなど私はラジオにしがみついて応援したものです。腕力に勝る若乃花が〝呼び戻し〟〝上手投げ〟なら、名人横綱栃錦は〝上手出し投げ〟や〝二枚げり〟といった技が得意で、互いに勝ったり負けたりでした。
   確か小学校の上級生だったころかと思います。私は得意のハモニカでおたまじゃくしを追って作詞作曲した栃錦の歌を東京の春日野部屋まで譜面を付け本気になって郵便で出しました。♪すもうのかみさま とちにしき つよくてやさしい われらの人 土俵にあがれ…といった内容で、歌詞も曲も覚えています。でも、待てど暮らせど返事はこなかった。それでも横綱は忙しい身なのだから、と自らに言い聞かせ、ラジオの前にかじりついて応援を続けたものです。

   そして。もうひとつ。あのころ私が夢中になる少女がいました。それが、あなた。美智。ミチだったのです。地蔵盆の時など、ほかの子たちとも連れ立って一緒に村じゅうのお地蔵さんを訪ねてお菓子をもらって歩いて回ったものです。獅子頭をみんなでかついで舞いもしました。手紙にもありましたが近くの林でチャンバラごっこをしたりしたこともありました。授業中、何か面白いことがあれば、決まって机越しに身を乗り出して互いの顔を覗きあって笑顔を確かめ合って、安心する。今思えば、あの感情こそが初恋だったのでしょうか。
   人間とは不思議な生きものです。あんなに仲良しだったふたりだったのに。別々の中学に入学してからは、音信もないまま時の経過とともに互いの存在すら忘れてしまっていたのです。そんな薄情極まる自分なのに、私はこの町にたまたま戻ったのがきっかけで、改めてあなたは今、どこでどうしているのか、と思うようになったのです。随分と勝手な感情ですよね。
   最初の手紙にも書きましたが、そんな、ある日のことでした。たまたま入った居酒屋のカラオケで舟木一夫の〈高校三年生〉を歌って客仲間と雑談を交わすうち、そこに居合わせた五郎さんが私の大学の先輩だったと知り『今どこに住んでいるのか。分かりませんか』とミチのことを聞いたら、偶然にも『ミチなら俺知ってる。五郎から聞いた、って。そう書いて手紙だしてみるといい。大丈夫だよ』とそう言われて、思い切って手紙を出させていただきました。そしたら、思いがけず返事を頂いたというわけです。」
   満はここまで書き進めたところで、大きく息を吸い、自室の窓越しにどこまでも広がる青い空に目をやった。この空だけは昔も今も変わりはしない。

   翌日。満は赤いポストにこだわり、封書を投函。秘密がまたひとつ増えた自分を感じていた。一週間後。ミチとみられる女性の字でこんどは一枚の葉書が満宅に届いたのである。
   葉書には次のように書かれていた。
「なつかしさが、二倍に膨らんできています。あなたとは、ぜひお会いしたい。実は、あたし今は、あの天下人(てんかびと)信長との間に信忠、信雄、徳姫の三人の子を儲け、信長にこよなく愛された吉乃がかつて暮らした小折の生駒屋敷近くで住んでいます。
   吉乃さんといえば、あたしたちこの町の女性の誇りでもあり、その波乱の生涯をあなたが最近、信長残照伝という小説に書かれたことも承知しています。だって、あなたのことはずっと忘れることが出来ず、これまでも新聞にあなたの名前が出るつど胸をときめかせて読んできました。10月11日午後2時。江南のフラワーパークでお待ちします」
   文面には、ただそれだけが書かれていた。

   人生とは。だれだって【ぽとぽとはらはら】である。嬉しい時、悲しい時にポトポトと流れる涙の滴に身を任せ、毎日をハラハラドキドキしながら、それでも少しでも幸せになれたらイイナと。そう思い、皆けなげに生きていくのである。人間誰とて変わりはしない。

昔も今も路傍に身をさらして立ち続けるお地蔵さん 撮影・たかのぶ
(昔も今も路傍に身をさらして立ち続けるお地蔵さん 撮影・たかのぶ)

その笑みは何ら変わらない=いずれも江南市古知野町和田で 撮影・たかのぶ
(その笑みは何ら変わらない=いずれも江南市古知野町和田で 撮影・たかのぶ)

【6へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」
「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

スポンサーリンク

スポンサーリンク


「江南しえなんLINE公式アカウント」を友達追加!
友だち追加

ボタンをポチポチポチっと押してね♪
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログへ

しえなんカード(名刺)を置きたい!」「うちも取材してほしい!」という
会社やお店の方がいらっしゃいましたらご連絡お待ちしています♪
「情報提供・お問い合わせ」
Facebooktwitter または konanjoho@yahoo.co.jp まで

コメント

タイトルとURLをコピーしました