連載小説『ぽとぽとはらはら』6

ぽとぽとはらはら 6
伊神 権太

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6.
   ところでミチが指定してきたフラワーパークって、どこにあるのだろう。
   木曽川河畔に立つ、あの草井の展望タワー付き高さ57㍍の【すいとぴあ江南】なら知っているけれど。このすいとぴあ江南は平成六年九月、1994年9月に江南市制40周年を記念して誕生したのだ、と前に誰かに聞いたことがある。
   何はともあれ、フラワーパークの場所を確認しないことには。少なくとも満とミチがこどものころ、昭和の時代には、すいとぴあ江南同様、このフラワーパークなるものは、まだこの世には影も形もなく存在してはいなかったはずだ。そう思うと、満の胸は急にキュンとなり、なんだか異様に脈を高く打ち始めたのである。その一方で「オレたちが通っていた時計台のある母校で〈高校三年生〉のロケが行われていたころ、ミチはどこでどうしていたのだろう」とそんなことをボンヤリ考えたりする自分にあらためて、今になって彼女の存在が大きく目の前にのしかかってくるのを感じもしていた。

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(落ち着いた感じの江南フラワーパーク、スイレンの池周辺 撮影・たかのぶ)

   舟木一夫の青春歌謡。いや〈高校三年生〉をはじめとした〈仲間たち〉〈学園広場〉〈君たちがいて僕がいた〉〈修学旅行〉といえば、満の人生の行く手のあちこちで、それこそ大海原の波の如く、浮かんだり消えたりした。あの青春歌謡の歌詞のひとつひとつが山あり谷あり、の来し道で苦境に陥るつど両腕を広げて通せんぼでもするように、ある時は目の前に立ちはだかり、また別の時には寛容にもいずこかへと消え、流れ去ったりした。ただいつも、これらの歌は満の胸にまるで抱きつきでもするようにして人生のあちこちでパチパチと火花をあげていた。それほどまでに舟木が歌う青春歌謡の数々は満にとって大きい存在だった。
   思い起こせば、丸一年に及ぶ闘病生活で骨折という大敵がやっと癒えてまもないころから両親の猛反対を押し切って再び始めた柔道の稽古。口数こそ少ないが、骨折後の満を温かく静かに見守ってくれたテツ先生はじめ、一年先輩のジュイチさんら先輩たちの優しいまなざしと周囲の励ましがあればこそ、だった。接骨医のマンサドウさんをはじめ、稽古で潰れた耳たぶの血をそのつど吸い取ってもらうため、足しげく学校帰りに通った耳鼻科(確かヤマジ医院と言った)の存在も忘れられない。

   そして。その母校で〈高校三年生〉の映画ロケが何日にもわたって続いたのは昭和三十八年秋、世の中に舟木一夫の〈高校三年生〉が登場して大流行したそんなころだった。時計台と校舎に映える夕日がとても美しい学び舎を中心に地元出身の舟木をはじめ、高田美和、本間千代子、倉石功といった青春スターが校内を闊歩。それこそ、学校敷地内の全域がロケ現場とされ、来る日も来る日も若いスターたちが自転車置場で何度も転んだりするシーンが繰り返され、大学入試を目の前に控えた黒帯姿の満は両腕を組んで彼らのしぐさひとつひとつを見守っていたのである。
   実際に、だ。満自身、興味半分もあって放課後の稽古の合間にロケ現場に足を運び「何やってんだよ」と正直、思ったことも事実である。でも、振り返れば、かけがえのない青春時代のひとコマだったことは間違いない。

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(江南フラワーパークでは親切な案内板が立っていた 撮影・たかのぶ)

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(コスモスでは珍しいオレンジの花々が風にそよいでいた 撮影・たかのぶ)

   あのころの複雑な感情は今も澱となって、満の心の一隅をたゆたい、浮遊している。当時、高校三年生になるや、大学進学を目指す普通科のクラスメートは皆、判でも押したようにクラブ活動をやめさせられ、代わって塾通いをする者たちが増え、満のように三年になってもクラブ活動に精を出す生徒となると、彼のような例外を除いては皆無に等しかった。担任教師をはじめ親からも柔道の稽古は、やめるべきだと言われ続けた満はかえって、そうした注意に反発。柔道着を自転車荷台にくくりつけての登下校を続けたのであった。
   だから。それで大学入試に失敗すれば、ホレ見たことかと言われることは覚悟のうえ。「その時はそのときだ」と自身に言い聞かせての登下校と稽古がつづいたのである。
   秋も深くなると、寒さで骨折部分がキリキリ痛むこともあったが右足の回復は思った以上に順調で満はそんな状況のなか、年内は勉学の傍ら柔道に打ち込んだ。幸い、学業成績はそこそこで、両親も担任も匙を投げるようにあきらめてもいた。

   日も。月も。時も。脱兎の如く無言で流れていく。
   そんな秋も深まったある日のことだった。満は、それまで少しだけ、気になっていた女子高生の心配そうな表情に初めて気がついた。そういえば、彼女は骨折事故から立ち直って再び柔道場に立った、その日から道場の廊下越しに私を心配して見守ってくれていた。制服のバッヂから受験をめざす普通科ではなく、商業科である。
   その日はいつものように柔道場の入り口部分に立つ彼女と眼が会い、思わず笑顔で頭を下げると、彼女は満の前に進み出てこう口を開いた。
「みつる。みつるさんですか」と。私は何もかもが彼女の目のなかに吸い込まれてしまったように立ち止まり「ハイ。そうです」と答えた。

【7へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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