連載小説『ぽとぽとはらはら』20

ぽとぽとはらはら 20
伊神 権太

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20

   中国の7万6936人(うち死者2442人)をはじめ日本838人(4人)、韓国602人(6人)、イタリア132人(2人)と新型コロナウイルスの感染者(死者)が相変わらず世界各地で増え続けている=2月23日現在。
   そんな中、わがまち江南では今月七日に国指定重要文化財の正堂・書院など多くの文化財を所蔵する曼陀羅寺境内(前飛保町)で文化財保護防火訓練が行われ、あくまで普段とは変わらない平々凡々とした季節が流れていく。

人口10万の小都市ではあるが、最近では都会に負けじ―とハイカラな店が続々と出現している
(人口10万の小都市ではあるが、最近では都会に負けじ―とハイカラな店が続々と出現している 撮影・たかのぶ)

   二月六日。〝和尚〟から突然の電話が入った時、満は江南市内で社交ダンスのレッスン中だった。なぜか心臓の鼓動が大きく波打つので留守電を開くと、和尚の家近くに住むクラスメートで満も知る正の突然の病死を伝える悲報だった。受話器からは悲しさを押し殺した、淡々とした、あのやさしさに満ちた彼ならではの威厳と艶のある声が耳に迫った。「おい。ミ・ツ・ル。タダシが亡くなった」というもので、満はその場にしばらく立ち尽くした。

   思えば、このところ記者時代の先輩はじめ、お世話になった方々が次々と病で他界。悲しい知らせは現役を離れた今となっては、頻繁にあるにはあるが大半は記者時代に務めていた新聞社の社友会が発行する月に一度の会報によるものだった。
   亡き人は年々増え〈中日春秋〉など往年のコラムの書き手に始まり、能登にいたころ自著では最初のベストセラー【泣かんとこ 風記者ごん!】を出版した際、その記念祝賀会の席で妻である梢に内助の功賞までくださった当時の北陸本社代表、ほかにいぶし銀の元県警キャップ、共に戦い続けた多くのブンヤ仲間と大半が告別式を終えた後に会報のお悔やみ欄で知り、私はそのつど目を瞑り「おやすらかに」と言ってすませてきたのだった。
   それだけに、和尚からの電話は心に深く染みた。あとで知らされたのだが告別式には高校時代の同窓会「二石会」の級友十六人が参列し見送ったという。満は参列こそ出来なかったが生前のあの姿、特に僅かの間ではあったが高校の柔道部時代、りりしかった道着姿が思い起こされる。温和で朴訥だったばかりか、心配りにあふれ余分なことはいっさい口にはしない、そんな純真無垢な男だった。

タダシの霊を悼むかのような満開のシダレ梅=古知野平和神社にて
(タダシの霊を悼むかのような満開のシダレ梅=古知野平和神社にて 撮影・たかのぶ)

   死出の旅。葬儀といえば、満には忘れられない思い出が多い。
   滋賀に居たころ、新聞の地方版に読者のための【お悔やみ欄】を開設した。亡くなった全ての読者の訃報を分け隔てなく募り、家族や友人・知人の口による生前の人となりのコメント入りで通夜と葬儀の日程を喪主の名とともに連日紙面で紹介する画期的なものだったが、この試みが読者に喜ばれた。
   この発想はそれ以前の勤務地、能登半島での能登版紙面で常設していた読者のための訃報欄をヒントに二年がかりで準備し実現させたが、彦根周辺の女性スタッフばかりからなる〈お悔やみ班〉を結成、読者最優先の紙面づくりが実現したときのあの達成感は今も忘れられない。タダシなら当然「物静かで、やさしくて。誰をも包み込んでくれる人でした」というコメント付き紙面になったに違いない。あのころ、新聞社内部では紙面化そのものに反発する輩もいるにはいたが、当時のトップの最終判断もあって【広く聴き、深く考え、強く闘う】を胸に、どこまでも突っ走った。結果的には部数増が販売店主にも歓迎され苦労して良かったな―とつくづく思うのである。

   とはいえ、能登では支局員が喪主と死者の名を間違えてしまい、彼女を伴い自宅までお詫びに走ったことも忘れられない(あの日は仏さまの前で手を合わせると、遺族が感激し「なんも、なんも。支局長、いいわいね。アリガトさん」とまで話してくださった)。
   理由はどうあれ。その人の人生が終わってしまった、ということは、その家族、いや知人にとっても悲しい大事件である。でも、自分がこの世を去ったときはどうするのか。ここで満は、ふと思う。「俺だったら梢ひとりが枕辺に座ってオレを叱り飛ばしてくれたら、それでいい」と。そう常日頃から口を酸っぱくしている。
   でもタダシは和尚たちに感謝して逝ったに違いない。人間の感情とは不思議なものだ。十六人もの級友が馳せ参じた、だなんて。俺たちの「二石会」はなんと情に熱い、すばらしき仲間たちばかりなのだろう。

   満は、静かに目を閉じている。
   タダシ! 和尚の弔辞にあったように彼の家で一升瓶を飲み干したよな。あの日のことは決して忘れない。オレも、ヤツも。元気でいるから。泣かんとき!
   涙が止まらない。それこそ、ぽとぽとはらはら、だよ な。

※        ※
目にもまばゆい休息所の壁面
(目にもまばゆい休息所の壁面 撮影・たかのぶ)

市民のオアシスでは、雑談に花を咲かせる女性たちも
(市民のオアシスでは、雑談に花を咲かせる女性たちも 撮影・たかのぶ)

   二月末。ある日のショッピングセンター1階のフレンドコート。
「ずっといくと回転寿司があるがや。おみゃあさん、なんで。きゃあてんずしも知らんの?」「ぜになゃあで。こまったな、と思っとるがな」。ジャケットを着た女性が買い物カートを傍らに、同年代の女と何やら話している。一見、平和な江南市だ。

   満はいま、この町で生き、生かされている。

【21へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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