連載小説『ぽとぽとはらはら』25

ぽとぽとはらはら 25
伊神 権太

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25


(コロナ禍でこのところは社交ダンスのレッスンもままならない=2017年名古屋市内で 撮影・たかのぶ)

 

 菊美は、いつだって若々しく社交ダンスにも通じ、この世界ではかなり若い40歳前後か。かつて自らドイツに渡って習熟した卓越した語学力、そして日頃の分け隔てない温かいまなざしと姿勢が好感を持たれ、ここ数年というものは海外から日本への観光客が増えるに従い旅のガイドとしてなくてはならない、それこそ、かけがえなき存在でもあった。
 当然の如くここ数年は年中、通訳として国内外を飛び回る日々だったが、そこへ襲いきたのが不意打ちにも似た新型コロナウイルスによる感染化の拡大、〝コンコロコロナ〟ショックであった。その菊美が、生まれ育ったふるさと・江南の遺産ともいえる【瀧文庫】の存在を、満の幼友だちだった美智らを通じて知り有志市民と一帯の草刈りボランティア奉仕などにも情熱を注ぐ姿が満の目にまぶしく見えたのは、当然の成り行きだったのかも知れない。
 そして。菊美が、かつて天下を統一したあの戦国武将織田信長が吉乃に会いたいその一心で生駒屋敷に通い、仲睦まじかったことを同じ小折地区に住む母にも似た齢の美智から噛んで含められる如く教えられたのは、ドイツから帰国してまもなくだったという。以降、菊美は多くの壁を乗り越え、このところは通訳業を柱に順風満帆の日々が続いていた。ところが、である。何の因果か。ことしに入り、これまで思ってもいなかった見えない敵・新型コロナウイルスが、この地上に出現。世の中、いや社会全ての様変わりときたら、尋常でなくなった。
 それは菊美の周辺とて同じだった。新型コロナウイルスの世界的な感染化拡大に伴い、海外からの観光客はピタリと途絶えてしまい、今では空港という空港でエアライン各社の航空機が駐機。滑走路も次々と閉鎖され、空の玄関はどこも休業同然に等しい状態となり、これまで溢れ返っていた観光客がまるで大海原の波が一斉に引くように、ピタリと途絶えてしまった。「さあ、どうしよう」。菊美は悩みながらも、江南市内にある、とある就労支援センター〈菜の花〉を訪ねた。ここなら、たとえ僅かの間でも居場所にふさわしいかも知れない。気がつくと菊美は胸を弾ませ、その門をたたいていた。
 訪問した〈菜の花〉は、土壌づくりから栽培、収穫、販売と幅広く手がけ、にんじんやネギ、トマトなど無農薬で栽培した季節の有機野菜を地元はもとより、隣の岩倉、名古屋市と周辺まで広範囲にわたって販売する事業所で、障害者に対する職業訓練と一般就労にも道を開き、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための国の指定も受けていた。
 菊美は『就労支援センター・菜の花は商店とファームを運営し、個性豊かな人材を育てリラックスできる居場所を作り、障害をもつ人々の職業訓練と一般就労への支援に真剣に取り組んでいます』と書かれたパンフレットを手に改めて「そう。これ、これよ。地産地消の、環境と自然にもやさしく共存する有機野菜。これからは真の人間力で生きてゆこう」と心に強く誓ったのである。

 


(有機野菜の可否が、真の人間力を高める=江南市内で 撮影・たかのぶ)

 

 ことし1月に中国・武漢を発症源に人間社会に現出した新型コロナウイルスの感染は、その後3カ月たった今なお、世界中にまん延しつつある。この世はどうなってしまうのか。今月7日には感染者の急増を受け、安倍晋三首相が東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象地域に改正特別措置法(新型コロナ特措法)に基づく緊急事態宣言を発令(5月6日までの1カ月。宣言は政府による商業施設の使用停止指示など一定の私権制限を伴う)、10日には愛知県の大村秀章知事も県独自の緊急事態宣言を、岐阜県の古田肇知事も非常事態宣言を、三重県の鈴木英敬知事は感染拡大阻止緊急宣言を発出(いずれも5月6日まで)している。
 そしてこのところは、外出自粛要請、不要不急の―などという言葉に始まり、三密回避(密集、密閉、短距離会話)やら、クラスター(感染者集団)、院内感染…といった警戒感を伴った言葉ばかりが溢れ返り、人々の心は傷つき、恐怖の底にある。

 


(コロナ禍は連日、紙面で報道され、感染者は世界も日本も日々増えている 中日と毎日の14日付朝刊紙面から)

 

 今。新型コロナウイルス感染の只中で、満はつくづく思う。
 何もかもが、ひと昔前の方が良かったな、と。思えば思うほど所詮、人は皆だれしも補陀落浄土で海から生まれ海に死んで逝くのだ、とも。自ずと、黒潮躍る熊野灘を眼下に灯台に通じるゴロタ石を梢とふたりで歩いた汗かき地蔵さんのある三重県志摩半島の波切を思い出してもいた。同時に、この町・江南の臨済宗妙心寺派のお寺・永正寺に鎮座する【永正寺八方釈迦如来】の存在になぜか、頭がいくのである。この八方釈迦如来は正面はむろん右、左、上下、斜めと、どこから見ても私の方を向いて見守ってくれる。何も言わないが、真のご利益が必然に思われて仕方がない。
 人間たちよ。さあ、顔をあげて。前を向いて歩いてゆこう。そう励ましてもくれる。

 


(永正寺秘蔵の【八方釈迦如来】は世の中をきっと明るく照らしてくれるはずだ 撮影・たかのぶ)

 

 一方で満はこうした時代だからこそ今大切なのは、心安らぐ音楽なのだとも思う。

 

【26へ続く(不定期で連載していきます)】

 

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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