連載小説『ぽとぽとはらはら』3

ぽとぽとはらはら 3
伊神 権太

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3.
   昭和三十六年の五月十三日。満の人生を狂わせかねない、実際に狂わせてしまった、ある大きな事件が突如として彼の身を襲った。希望に胸膨らませて高校に入学して間もないその日に彼は思いもかけない突発事故に巻き込まれ(いや、これは事故というよりは、やはり事件というべきだろう)、青春時代の一時期が一瞬にして音をたてて瓦解し、暗転したのだった。少年なりに、なぜ俺だけがとの思いにかられ、希望に胸膨らませていた時だけに、思春期の彼の心身ともに大きく掻きむしられたのも事実である。
   あの日。事件は、たまたま高校を出て二、三年になる社会人OBが久しぶりに母校の柔道場に稽古に訪れ、たまたま相手となった彼との乱取りのさなかに思いがけず起きた。互いに組み合ってまもないその瞬間、ポキーンという真っぷたつに青竹でも割ったような大音響が柔道場の天井にこだまし、響き渡った。なにごとか、と思う間もなく捨て身小内をかけてきた先輩の全身が右足に乗っかかり。と同時に強烈な痛みが走り、からだじゅうから脂汗がにじみ出たことを、満はよく覚えている。
   痛すぎて「イタイ」という言葉さえ発することができず、満は立ち上がることも出来ず、その場にアッ、ウウー、ウーッとあきらめにも似た、悲痛な唸り声を微かに出したまま当時、柔道の顧問を務められていた、テツ先生が現れるのをただひたすらに待ち続けた。まもなく駆けつけてくれたテツ先生に満は学校近くのなじみの接骨医(確かマンサドウといった)にまで車で連れていかれ、全治半年以上の複雑骨折と診断され、そのまま車で自宅まで送ってもらい、以降は右足部分に添え木をあてられたまま、ずっと動けないまま自宅での療養生活が続いたのである。
   それでも、接骨医のマンサドウさんは自宅まで毎日のように治療にきてくれ、テツ先生も多忙な中を心配して事故後、何度も自宅を見舞ってくださったことを覚えている。テツ先生は現役時代には愛大柔道部主将として活躍され、全日本柔道選手権にも出場経験のあるこの地方では一番強くたくましい現役柔道教師だった。あのころは母校に新任として着任したばかりで、社会科の先生でもあった。(マンサドウさんは大抵、自転車でわが家まで来てくれ、たまにタクシーで来られたりした。満の足を骨折させた先輩はどうしたわけか、ただの一度も顔を見せなかった)。

   いずれにせよ、満の若い心は、あのとき、あの運命の瞬間に何もかもが傷ついてしまったのだった。足の骨は膝から足首にかけ、ほぼ中央からスパリと二重、三重に長い斜めの線で切り裂くように折れてしまっていた。その瞬間は、涙さえ出なかったが「これで柔道は出来なくなってしまう。もうダメだ」といったんは観念したことも事実だ。
   当然ながら、学校へはそのままほぼ一年近く登校できずにいたが、幸い自宅での自主学習が出席扱いになり、学業の方もなんとかクラスのレベルについていけたこともあり、学校側の配慮で翌春、晴れてそのまま高校二年生に進級できた。不思議なことに、登校しない間に自宅で受けた実力テストは、ことごとくベスト10以内で思いのほか良く、こうした学力面での判断もあって、欠席日数だけからなら異例とも言える思わぬ進級が彼自身内心での自信につながったのも確かなようだった。

学生時代の道も今は桃源ロードに
(学生時代の道も今は桃源ロードに 撮影・たかのぶ)

   この物語の始まり、冒頭のシーンは、こうした不幸を克服した少年だった満が高校二年に進級してまもなく再び登校を始めたころのワンカットで、彼にとっての大事件となった青春時代のアクシデントから丸一年がたち、再び始まった高校への自転車通学の光景である。
   幸い、家族の応援にも支えられ、やっと自らの力で登校できるようになった、あの清々しい日々の喜びと感動は今も忘れられない。実は、満は高校に入学する前の私立中学時代に、この中学校始まっていらいの中学生での講道館柔道実力初段を既に取得しており(無論、柔道部に入部後は雨の日も風の日も、それこそ文字通り一日も休まず柔道の練習に明け暮れたことも事実だ)、当時、急速な勢いで進学校への道を歩き始めていた併設高校に入学後も当然のように中学のときと同じ柔道部に入部し、毎日の厳しい稽古に打ち込むものだと固く決心していた。
   それだけに、高校に入学してまもなく起きた、この突然の骨折事件は思春期の満自身、心身ともにただの一日でボロボロに壊されてしまったようで、悔しく辛く耐えられないものとなった。これより先、昭和三十四年九月二十六日にはこの地方を未曾有の伊勢湾台風が襲っており、不幸からの立ち上がりは、この地方すべてにも共通していたのである。まさにその台風からの復興と時を合わせるように、高校への進学は、目の前の希望となって現れていた。それだけに、骨折は悔しくもあった。

   というわけで、あの日々は母校の時計台と校舎を染める夕陽を見るにつけ、少年ながらも早くよくなって頑張らなければ、とも思う満だった。

商店街夜の照明灯は今もキラキラ
(商店街夜の照明灯は今もキラキラ 撮影・たかのぶ)

【4へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」

ピース・イズ・ラブ 君がいるから
」など。

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