連載小説『ぽとぽとはらはら』29

ぽとぽとはらはら 29
伊神 権太

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29


(過去には有志市民による草刈り奉仕も行われ、文化ゾーンとしての再生を願う声が多い瀧文庫周辺=愛知県江南市東野町で 撮影・たかのぶ)

 


(ステージを華やかに大正琴演奏で彩る尾張地域の女性たち。イメージ写真 撮影・たかのぶ)

 

 これは菊美らが実現させようとしている【夢ひろば】なのか。
 一帯では肌に心地よい5月の風が、吹き抜けてゆく。ステージを背に大正琴を前に弦洲会の会主とその長男が弦に手を添え、今まさに大正琴の音が流れようとしている。曲はなんだろう。〈君たちがいて僕がいた〉。いや〈仲間たち〉それとも〈学園広場〉、〈高校3年生〉か。
 満は思わず観客席を見渡す。すると、いる、いる。そこには見覚えのある人々がステージを囲むようにして皆、笑顔で立っているではないか。うわさを聴いて駆けつけたのか。いつのまに現れたのか。舞台そでには、瀧文庫を所有する学園の同窓会長として長年にわたって君臨した、あの70歳を過ぎてなお、かくしゃくたるシンジさんやシャモトさんら同窓会のお歴々が両腕を組み仁王立ちとなり立ち、隣には情熱を込めこの日の到来を待ち望んでいた菊美をはじめ、満のクラスメート〝和尚〟やマサル、ほかに菊美をいつも温かく見守っている地元作家のソノコさん、市議会議員の勇二さんに一般市民も大勢いる。
 みな手と手を人間の鎖のようにしてつなぎ、これから一大イベントが、この瞬間に始まるような、そんな雰囲気だ。と、今度はあの愛知県一宮市萩原町出身歌手の舟木一夫さんを長年にわたって応援し、盾になり守り続けた萩原町商店街の重鎮ギゾウさんらが舟木さんの熱烈な〝追っかけ〟でも知られる銀行員京さんたちを伴いステージへの階段を、どちらが主役なのかも分からないそぶりで一歩、また一歩と胸を張り両手を大空高く振りながら上り始めたのである。
 そして。役者が出そろい一瞬の静寂が訪れると、今度はマイクを手に誰かが語り始めた。満のクラスメートでもある林本さんと堀尾さんの女性コンビでやがて流れ出したメロディーにあわせ、ふたりは♪清らかな青春 さわやかな青春 大きな夢があり 限りない喜びがあった……と情緒たっぷりのアナウンスで交互に語り始めたのである。ふたりの司会を耳に満は高校時代を思い出し、本当にそうだった。その通りだよ―と思うのだった。

 


(米・カーネギーホールはじめ、世界各地を舞台としての〝親子鷹演奏〟は、発祥の地・名古屋が生んだ大正琴として国際的にも知られつつある。 撮影・たかのぶ)

 

 そして。一帯が見事に整備された中央ステージでは、何かを訴えかけるような風が流れるなか、名古屋で発祥したあの大正琴の音が弦洲会主と長男の親子鷹演奏によって弦が爪弾かれ演奏が始まるかに見えた、まさにその時だった。満の網膜に映る演奏会の映像が何ということなのか。一瞬のうちに瓦解し、どこかに消え去ってしまったのである。一体、これは何。何ということなのだ。順調なら〈君たちがいて 僕がいて〉の音曲が高らかに、かつ味わい深くしっとりと流れ、次いで〈仲間たち〉から〈学園広場〉…へと琴弦の音はつながれ、その場にいる全員の手と手がフォークダンスを踊る手へと、まるで魔法の如くに変わり、青空のもと、皆、笑顔がはじけるはずだった。のに、だ。これはどういうことなのか。

 が、満の瞼に描かれたこんな光景も、ほんの束の間のことで網膜は映画の幕でも落ちる如くピシャリと閉じられ、辺りは闇一面の世界に、と変わったのである。
 ともあれ、コロナ禍の時代にこれほどまでに幸せなことが起きようとは。満の網膜の中では、つい先ほどまでの光景が今となっては、とても信じられなかったが、あの光景は所詮は夢。〝ゆめ芝居〟だったのだ。それにしても、いったい何ということなのだ。大相撲が無観客なら、プロ野球も、高校球児憧れの高校野球・甲子園も、だ。何もかもが無くなってしまう、だなんて。いまは全滅の世の中だ。一体全体、1年前にこの異常事態を誰が予測しただろうか。だが、実際にこれが現実なのである。満は、空をみつめ唇を噛みしめ、あゝ~、とため息をつく。どうしよう。いや、ここに至っては、もはや人間たちが炎上し始めたかも知れない。

 ことし。思いがけず、地球を襲った新型コロナウイルスによる世界中の人々を相手にした〝コンコロコロナのショック〟は日本では、このところは急速に終息に向かいつつあるものの、依然、地球規模での感染者は増える一方だ。各国や米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によれば、5月23日現在、世界全体での感染者は522万9441人、死者は33万8480人に及んでいる(日本での感染者は同日現在で1万7243人、死者838人)。

 満は今、改めて自分が生まれ育った人生行路を振り返ろうとしている。母の胸に抱かれ、終戦後に満州から着の身着のままで引揚船に乗せられ、舞鶴に上陸。その足で母の実家をたよって落ち着いた木曽川河畔の町での生活が始まった。やがて、生まれた妹の「急」を知らせようと、雪道を何度も転びながら兄と目指した本家への道は遠かったが、今また皆で走る新型コロナウイルス終息への道も遠い気がしてならない。ひとつの通行手形を得るためにも現段階ではたとえ緊急事態が全面解除されたとしても、まだまだ、ゴールの見えない夢ひろばではある。
 でも実現させねば、と思っている。

 


(緊急事態宣言が全面解除はされても。「みんなそれぞれのペースで……」と呼びかけるカレンダー。〝人間炎上〟だけは避けたい=江南市内で 撮影・たかのぶ)

 

【30へ続く(不定期で連載していきます)】

 

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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