連載小説『ぽとぽとはらはら』7

2020年3月30日

ぽとぽとはらはら 7
伊神 権太

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7.
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(青春映画「高校三年生」のロケの舞台となった高校。昔も今も何ら変わらない=愛知県江南市内で 撮影・たかのぶ)

「あのう。あたし。同学年で商業科の安福春香、と言います。」
   この女生徒には確かに見覚えがある。満が何か、と首を少し傾げて近づくと、その〝はるか〟と名乗る女子生徒は少し後じさりして立ち止まると、どこまでも透き通った両の目で視線を満に投げかけ「み・つ・る。み、つ、るさん。ですよね」と今度は一歩、前に進み出て思い切ったように、はっきりした表情で口を開いた。両方に垂らしたおさげの髪がよく似合う。そればかりか、まんまるな両目は可愛いキューピーさんのようにも見えた。

「ハイ。みつるですが。は・る・かさん」と今度は満が視線を一直線としたまま応えた。
   一瞬、深呼吸をした春香は、こう口を開いた。
「あたし、あなたに。笑われちゃうかも知れない。けれど。黒帯で小柄な身を包んだあなたの柔道着姿が大好きなの。で、高校に入学してからというもの、いつも柔道場入り口の渡り廊下越しにこれまであなたのことを見てきました。見れば見るほど、姿三四郎? いや。漫画のイガグリくんみたいだ、と思い(満はずっと丸坊主だった)。それで、やみつきとなり、放課後などにずっと窓ガラス越しに練習風景を見てきたのです。あゝ、それなのに。あなたは足を折ってしまったみたいで登校も出来なかったのですよね」
………
   ここではるかは大きく深呼吸をした。
「ええ。ありがとう」と言いながら満は思わず、いや反射的に感謝の気持ちを込めて頭を下げ今度は彼女の目をじっとみつめた。はるかは覚悟でもしたように続けた。
「だから、あなた。そう。みつるさんのことが、かわいそうに思えてしかたなくって。きょうこそ声をかけ、励まさなきゃ、と。そう決心して。勇気を奮ってこうして声をかけさせていただきました。」

   あのとき満は、その言葉に心の底からこみあげるものを感じ、「アリガトウ。本当に。オレ、がんばるから」。そう言いながら、思わずポトポトハラハラと出てくる涙を止めようがなかったことを、ヨオーク覚えている。

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(校訓と学園歌は今も満の青春時代を思い出させる 撮影・たかのぶ)

   なんとその生徒、はるかは満が高校に入学後、朝の登校時に下駄箱でなぜか、決まった時間に鉢合わせし、その穏やかでにこやかな表情にどこか、あこがれみたいな、そんな感情を胸に秘めていたその子に違いなかった。最初のうちは気づかなかったが、足の骨折から稽古に復帰してからというものは、彼女と道場近くですれ違うことがよけいに多くなり内心でどこか嬉しさを感じていた。その女子生徒から、こうした形で声をかけられ、いつも自分のことを心配して見守っていてくれただなんて。
   満はあの瞬間のうれしさは、あれから半世紀以上もたつというのに今も忘れはしないのである。はるかは演劇部に属し、校内演劇発表会で主役を演じるなどしていた。
   いつだったか。出演者の真ん中にたち、はるから全員が〈モスクワ郊外の夕べ〉を歌った時には、その迫力に圧倒されたことを覚えている。♪恥らいに眼をふせて いとし恋人は わが胸に頬寄せて……。あのときの可憐な歌声は永遠に忘れないだろう。
   はるかが、いつも自分のことをあれほどまでに思ってくれていた。満は足の複雑骨折で一時は絶望の底に落とされたようで挫折こそしたものの、思いがけない救世主のような彼女のこうした出現に勇気と希望を与えられた気持ちとなり、それからはただ黙々と柔道の稽古に励んだのであった。
   技も、それまでの大内刈りから背負いへの連携技ばかりでなく、時によっては相手の体を崩しての内股や体落とし、足払いも積極的にしかけるなど一段と多彩になっていった。受験勉強もさるものの、満は目の前の苦境から脱出するために好きな柔道に打ち込む。そのことこそが窮地の今を切り抜ける道だと自身に言い聞かせもしていた。

   一方ではるかの道場通いは、演劇の練習の合間や休憩時間だったりしたが、あの日以降、ふたりとも会話を交わすことは不思議となかった。ただ朝、登校時に下駄箱で会えば必ず「おはよう」の声だけは欠かさず交わした。青春歌謡歌手、舟木一夫や姿美千子らが〈高校三年生〉の映画で学園をステージにロケを始めたのはそんな時でもあった。

   月日は流れ、満の練習は相変わらず受験勉強に逆らう如く休むことなく続いた。かといって、帰宅後は進学校の悲しさもあって、それなりの勉強にも励んだ。立ち技、寝技ともに日一日と進化を遂げ、〈高校三年生〉の映画撮影終了に合わせてロケ班が撤収するころには柔道の技も少しずつ成長。その年の暮れには愛知県スポーツ会館での昇段試験で講道館柔道二段の段位資格を取るまでになった。
   でも、それから。年が明けてからの受験一本槍の受験地獄が大変だった。満は机に向かえば向かうほど、数学の難解さにいまさらながら苦しめられる自分をじれったくも思うのだった。案の定、大学受験は惨敗に終わり、そこには惨めな姿をさらす自分がいたのである。

   走馬灯のように噴き出る思い出。ふと我に帰る満。美智との再会の日が目前に迫っていた。

【8へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。




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