連載小説『ぽとぽとはらはら』26

ぽとぽとはらはら 26
伊神 権太

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26

 今となっては残された新型コロナウイルスに対抗しうる数少ない武器のひとつはといえば、だ。満の場合、音楽しかない。事実、彼には幼いときから傍らに置き、喜びも悲しみも幾歳月のステージさながらに共に苦労を分かち合ってきたハモニカの調べがある。定年を迎えるころからは、その1本に新しくレッスンを始めた横笛が加わった。数年前からは南米楽器サンポーニャも学び始めたが、こちらは二年前の右肺手術の際の入院以降、レッスンが途絶え挫折したままである。
 そう思った満は自宅2階ベランダに出ると直立不動になって立ち、ハモニカを手に〈ふるさと〉を、次いで横笛で〈さくらさくら〉を、春の風をまともに受け、一心にふいてみた。ハモニカも、横笛も。ふくほどに自らが歩いてきた青春時代の景色がまるで映画の色彩を含んだシーンみたいに次々とまぶたにあふれ、流れていくのだった。

 


(コロナショックの中、満の心の支えとなり続ける横笛と楽譜 撮影・たかのぶ)

 

 満はいま夢の中か。全身がモノ言わぬウイルスというウイルスに覆い尽くされている。目には見えないはずだが。肌に吸い付き、ウヨウヨと動き回っている画が見える。全身が黒く炭化し、意識までが絡め取られつつある。このまま俺はどうなってしまうのか。いや、どこへ連行されていくのだろう。我に返ると、全身が汗でびしょ濡れになっていた。
 思えば、今度の新型コロナウイルスによる世界的感染の巨大化、〝コンコロコロナ〟のショックは人類にとって想像を絶する地獄となった。これまでも触れてはきたが、幼いころ、まだはっきりした自意識もなかったころ、母の胸に抱かれ屋根のない無蓋車、そして引き揚げ船に乗せられての満州からの逃避行。さらには高校時代の骨折。社会人になってからは半ば野宿同然の駆け落ち記者生活、怒号と悲しみ・傷心のなか駆けつけた数知れない事件、災害事故現場の取材、人には言えぬ愛と憎しみの恋物語…。
 そして思いがけない右肺切術。満とて人並みにアレコレとあったが、今回の新型コロナウイルスによる世界的感染ほど恐怖と緊迫感を感じたのは無かったのではないか。実際、つい先日まで元気でいた人間が次々と感染したかと思えば、大切な命がいともあっさりと消えていく。第一、これまで平穏だった普通の日常生活が、ひとつひとつ変形し切り裂かれ、破壊されているではないか。

 

 


(世界全体で死者19・2万人、感染者273万人=4月24日午後10時現在=を超え世界への感染拡大が進むなか、NHKは19日夜、「そして街から人が消えた・封鎖都市ベネチア」を放映した=NHK BS1スペシャル画面から=)

 

 満の知る限り、なおも進行中でいつ終息するかも知れぬ、これほどまでにすさまじい人間社会の〝破壊〟はなかった。そして。この地球に生きる人間たちは今「どうしたらこの危機を乗り超えられるか」と、そのことで頭がいっぱいである。ちまたには【関白宣言替え歌 緊急事態宣言のうた】なるものまでが表れ、満のもとにはネパール・カトマンズに住み菊美も知るユウコから「み・つ・る この歌知っている?」といった文言つきラインで海を超え、送られてきた。実際、この世の中、新型コロナウイルスに冒されてからというもの、どこもかしこもアレもだめ、コレもだめ。外出は控えて。三密(密集、密閉、密接)はだめよ―と言われ、人々は面食らっている。

 満は今静かに一線記者を終え、この町に居を構えてからの日々を振り返っている。
社交ダンスは定年後、しばらく務めたドラゴンズ公式ファンクラブの会報編集担当を辞したあと妻梢の勧めもあって乗船した地球一周の船旅・ピースボートでの船上レッスンがきっかけだった。ダンスは下船後も続け、今に至るが梢は、自ら営むリサイクルショップ「れもん」を充実させ、この間脳内出血で倒れた際には、なんと満の幼友だちで店のお客でもあった美智が救急車に同乗して助けてくれた事実を後になって知った。
 「れもん」は売上こそ微々たるものだ。でも癒やしと安らぎを求めてやってくる女性の輪は年々拡大。このところは、いわばおばちゃんたちの【駆け込み寺】同然と化し雑談に花が咲いている。客の中には夫亡き後も頑張る〝シャキットさん〟がいれば、滋賀出身の〝コンドルさん〟、岐阜からマイカーで颯爽と登場する相場師さん…と多士済々で一時期、梢自らの発案で、店内で月に一度開いたミニコンサートは、これらの人々で毎回いっぱいになった。ある日、たまたま夫の満が〈みかんの花咲く丘〉をハモニカ演奏したことがきっかけで、以降はミニコンサートのテーマ曲は【みかんの花咲く丘】に。かわいい魚やさん、でも知られる亡き童謡作家加藤省吾さんとの縁が、こんな形で花開くとは―と満はしみじみ思うのだった。

 


(「れもん」は、女性たちの安らぎの場でも。ミニコンサートの合間には雑談も。イメージ写真 撮影・たかのぶ)

 

 それはそうと何十年ぶりかで再び住み始め、何かと青春時代を思い出させる木曽川河畔のこの町。ここで生まれたふるさとの遺産・瀧文庫一帯で菊美が描く〝幸せの集い〟をなんとか実現できないものか。満は今、真剣に思い始めている。そのためにも自分の知るかつてのクラスメートはじめ多くの友人、知人をこの町に集める必要がある。三密(密閉・密集・密接)回避の時代に、そんな離れ業は出来るのか。でも、実現させなければと願う。

 

【27へ続く(不定期で連載していきます)】

 

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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