連載小説『ぽとぽとはらはら』2

ぽとぽとはらはら 2
伊神 権太

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2.
   時はながれて。令和元年七月。今は時代も昭和から平成、平成から令和へと替わって令和元年七月である。昭和三十年代、あの少年時代の日々から一体全体どれくらいの月日が流れたことか。満は郵便物を手に、その町の通りをこのところ、ともすれば前かがみになりがちな自らの前傾姿勢を気にして前を向いて真っすぐに歩いてゆく。けさも相棒の舞に「背中が曲がっているわよ。それじゃあ、晩年のお父さん、昭和天皇みたいよ。そっくりだわ。ハイ、背中を伸ばして。伸ばさなくっちゃあ」と注意されたばかりだ。

   買い物帰りなのか。自転車に乗り、白い帽子をかぶった、買い物袋を前の荷台に入れた白髪の女性がよろよろと何度も自転車ごと倒れそうになりながら、それでも「江南の女は強い。負けないぞ」と口を真一文字にして満を横目でキッと睨んで追い越してゆく。今度は杖を手に前からトツトツ、トボトボと歩いてきた、これまた歩く姿そのものがたいそう頼りなさそうな眼鏡をかけた男性とすれ違う。何を思ってか。突然、彼は満に向かって直立不動となって敬礼までしてくれ、「やあやあ」と言いニコリと笑った。何の意味での敬礼なのかがよく分からなかったが、私は「コンニチハ」と返した。
   それにしても、ここらあたり古知野の中心街だというのに、だ。愛栄通りや新町商店街、本町通りに関する限り、静かだ。古知野の町全体がひそとして昼も、夜も、朝までが。一日中眠っているようだ。いやいや、そんなはずはない。市全体としての人口はあのころよりも増えているはずなのに。支店を構えなくなった銀行こそパラパラと姿を消しこそしたものの、その後いつのまにか、いくつかの高層マンションも立っている。大仏さんのある布袋の方だって名鉄犬山線の布袋駅高架化に従い駅前周辺が少しずつ開発され、都会化されてきたとも聴く。桃源ロードといったチョットおしゃれな名前の通りだってあり、夜ともなれば三角錐のネオンが両側にキンキンと輝き、照明だけなら案外華やいだ感じがしないでもない。

   ならば、この静けさは何なのか。夜昼となく歩いていた人々がどこかに吸い込まれてしまったのか。それとも、この町はもう一度生まれ変わるのか。町そのものが名古屋のベッドタウン化してしまった証拠か。いずれにせよ、この町の人たちは今はどこにいるのだろう。若い人々は一体全体、どこに消えてしまったのか。名古屋か それとも尾張一宮周辺か それが分からない。
   でも、そうは言っても、だ。最近はやりのSNSはじめ地元の情報通などによれば、この町では結構しゃれた喫茶店やたべもの屋さんがにょきにょきと増えてきているみたいだ。だから、全然心配なぞあらへん、とも聴く。いやはや、不思議な町ではある。どこからか。蝉の声が聞こえてきた。まだまだ、か細く弱々しいが近くの神社の杜かららしい。みんみん、シャアシャアと、そのうち喧しく鳴き出すに違いない。
   満はため息をつき、先ほどから全身に執拗に纏わりついた寂寥感を振り払いでもするように、こんどは前方に向かって顔をあげてみた。と、そこには愛栄通り商店街の古びた照明用の看板が見て取れ、「愛」が深紅、「栄」がオレンジ、「通り」が黄、「商」が緑、「店」が空、「街」が黒色で表示されていることに気がついた。これだけを見れば、さぞかし華やかな色が商店街の夜空にくっきりと浮かび上がるに違いない。
   聞けば、愛栄通りの〈愛〉と〈栄〉はその昔、この辺りに愛子さんと栄子さんの評判の姉妹が住んでおり、たいそうな人気者だったことから【愛栄通り】と名付けられたのだという。そう思うと満の気持ちは思わず軽やかに弾み、今度は人けのない路上をフロア代わりに思い切って手足のしなを大きく作り、まるで白鳥が大気のなかを泳ぎでもするように。このところレッスンに余念がない社交ダンスのうち、ワルツとタンゴのステップをシャドウで交互に何度も踏んだりしてみた。あの人、道路で一体何をやっているのだ、気でも狂ってしまったのかと。そう思う人が居ようと居まいと、もはや関係ないのだ。
   そう、満はいつだって今という貴重な瞬間を生きているのだ。いや、生きてゆくのだ。このことは人間、誰だって替わりなんかはしない。満はここで先ほど通り過ぎていった女性のようにキッと前方を見つめ、胸を張って歩きはじめたのである。そして。いったん立ち止まったあとワルツのステップを、も一度、イチ、ニッ、サンと、軽やかに踏み、胸を張って蝶のように空を仰ぎ、大きく深呼吸をしたあと、再び前に一歩を踏み出した。

昼間の愛栄通商店街の看板 撮影・たかのぶ
(昼間の愛栄通商店街の看板 撮影・たかのぶ)

   そうこうしつつガソリンスタンドを横目に歩を進める満。今度はふと何かに突き動かされるように立ち止まる。と、そこには少年時代を想い出させる往時の姿そのままの赤くて丸い郵便ポストがあった。満はそのポストの頭の部分をいたわるように撫でると手にしていた郵便物を投かんした。
   あの日々から既に何十年もがたっている。

今も残る赤いポスト 撮影・たかのぶ
(今も残る赤いポスト 撮影・たかのぶ)

【3へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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