連載小説『ぽとぽとはらはら』30

ぽとぽとはらはら 30
伊神 権太

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30


(ふるさと木曽川の流れは永遠不滅。この土地に生きる人々の営みと心も、いつまでも同じである=愛知県江南市草井で 撮影・たかのぶ)

 

 満はその後も夜、布団に身を沈めて眠りに入るつど目の前の【夢ひろば】で仲間たちによって繰り返される光景に何度かうなされた。ある時など多くの人間たちが天使の羽を背中に乗せ、空からひらひら、フワリフワリと降り立ってくるような、そんな夢にも遭遇した。その中には「ミ・ツ・ル。どうしたのよ」「早くしなければ」と言って呼びかける幼な友達の美智がいれば、クラスメートの〝和尚〟やマサル、妻の梢と日々、駆け込み寺さながらに「レモン」に出入りする多くの女性たち、そして瀧文庫の再生にどこまでも夢を託す、あの菊美もいたのである。これら全ての人々が笑顔でこの地上に降り立とうとしている。

 それはそうと、ここは一体全体どこなのだろう。
 満州は東北部の広大な原野のようでもあれば、大勢の人々がギュウ詰めの露天電車、いや同じように人々が密集した日本に向かう引き揚げ船の中かもしれない。そうかと思えば、取材さなかの水没した長崎大水害の街なかか。それとも領空侵犯で宗谷岬沖オホーツクの海にソ連機に撃ち落された大韓航空機(ボーイング747)の残骸をさらし多くの乗員と乗客が海の藻屑と消えたオホーツクの海なのか。さらには富山・長野連続女性誘拐殺人事件の舞台となったあのラブホテル、いやトンボ眼鏡の女性犯が乗り回していた赤いフェアレディZの車内かもしれない。
 こうして今、満の頭の中の思考回路は過去と現在の道を行ったり来たりしているようだ。なぜなのか。その昔、織田信長が愛する吉乃を馬の背に乗せ木下藤吉郎(豊臣秀吉)らを従え木曽川河畔のここ尾張平野をどこまでも走り回ったころと何ら変わることはない土地なのに、である。
 共に手をつなぐようにして歩いてきた満の青春時代。柔道の乱取り中に足を複雑骨折したり、三段の昇段実技試験では何人もの相手を投げ飛ばすなど行く手には、いつだって悲しみもあれば、喜びもあった。母親のお腹のなかでこそ戦争を経験したが(満は、自分は〝戦争胎感覚派世代〟だと言っている)生まれ出た時には、戦争は終わっていた。だから、戦争は知らない。

 


(新聞紙面にはフェースシールドをつけた赤ちゃんの写真までが掲載された。5月18日付毎日新聞夕刊から 撮影・たかのぶ)

 

 そして。令和2年。この星で生きる人間という人間の大半がマスクをするという、これまでなら思いもしなかった世の中となり、社会は一変した。それは新型コロナウイルスによる地球破滅とまではいかないにしても、地球改造いや部分破壊といってよいほどの〝コンコロコロナショック〟による社会の様変わり、分断でもあった。その餌食となったのは、感染者、死者ともに他国に比べ少ないとはいえ(こんご、どうなるかは分からないが)、この国・日本とて同じである。地球上の国という国が醜く一変してしまったのである。
 令和の新元号に日本中が浮かれていた昨年の今ごろには、とても及びもつかない世の中が今新たに生まれつつある。アクリル板、防疫パネル、飛沫感染予防板、アクリル製のついたて、ボード、仕切り板の氾濫。ほかにステイホーム、テレワーク、オンライン教育、フェイスシールドなど一体、だれがこんな言葉の氾濫を予想したであろう。だが、現実に日本ではこれら遮断の手立てといおうか。そうしたものの普及が一般化しつつあるのが現実だ。こんなことを思うと今となっては、もはや、満や菊美らが夢見る、再生させた瀧文庫【夢ひろば】での青春賛歌もいいが、それ以前にしなければならないことがあるのではないかーとむしろ、不安な気持ちにかられるのも事実だ。

 

 


(イタリアでは日本人女性演奏家が現地の医療従事者への感謝と祈りを込め、ビル屋上からバイオリンを演奏する場面も見られた=5月6日放映のCBC画面から)

 

 令和2年5月31日。日本での緊急非常事態宣言が全面解除され、1週間たつ。その日。若いころから寡黙でほとんど話を自分からすることのなかった梢が、何を思ったのか。いつもの、あの甘ったるい口調で珍しく満に向かって口を開いた。梢はもう一度「あのねえ」と満の目をのぞき込むと「なんだ。なんだよ」のこれも、いつも通りの返答を確認したあと、こう口を開いた。
「ミ・ツ・ル、覚えている」
「何を」という満に梢はこう続けた。
「あのね。楽しかったのは、志摩の安乗灯台と海女さん、それに女護ケ島で知られる渡鹿野。海女さんの火場には、よく行ったよね。わたかのでは風待ち岬が好きだった。それと、能登の千里浜と七尾湾、和倉温泉、門前の鳴き砂の浜、松本清張のゼロの焦点・ヤセの断崖で知られる関野鼻の断崖絶壁…。千里浜では何度も何度も砂浜の海岸線を車で走ったよね」
「そうだったな。あのころは、マスクも仕切り板も何も必要なかった」と満。
「でも、岐阜県庁汚職事件やら長良川決壊豪雨、名古屋のキャッスルホテルを舞台とした愛知医大を巡る3億円強奪、稚内での大韓航空機撃墜、御巣鷹山への日航機墜落…ほかに小牧のゴミ騒動やら少年たちによる長良川木曽川連続リンチ殺人、近江八幡の連れ去り少女とそのつど、私は3人の子を抱え待たせられた」

「それはそうと【夢ひろば】。在校生も加わって、実現するといいよね。まだまだ、これからだよ。ね」

 


(1日も早い往時の日本復活がのぞまれる=大阪・心斎橋にて。2016年9月19日 撮影・たかのぶ)

(了)

 

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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