ぽとぽとはらはら 9
伊神 権太
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9.
(満がこどものころに見たと同じ無縁仏はおそらくこれだったに違いない=江南市和田霊苑にて 撮影・たかのぶ)
それから。満は小学生のころお墓で見た不思議な仏さまの集まりは無縁仏だったなどと話すうち、昔話をポツリポツリと話し始めた。
「柔道の稽古中、右足の骨を折ったときは悔しかった。けど、〝和尚〟という友がいて。中学時代、同じ柔道部員だったけど。あんまりこないもので。稽古に出てこい、言うて。ほっぺに往復ビンタ食らわせたった。一週間ほどすると『ミツル、ちょっと用がある』というので『稽古を始める気になったか』と喜んで、待ち合わせた渡り廊下まで行くと『オイッ、ミツル』と言うが早いか、往復ビンタを食らわせてきやがった。おあいこさんだったが、和尚はそのあと稽古には来たが、何を思ったのか。しばらくすると、剣道部にいってしまった」
「その和尚ったら。名前を祥司というので〝おしょう〟〝おしょう〟って。そう、みんなで呼んでる間に、ほんとに〝和尚〟になってまった。高校に入学後もクラスは同じで一年の時、骨折した俺のことを随分気遣ってくれた。頭もよくて歌をうたわせれば、プロ顔負けのうまさで天下一品。二枚目でスタイルもよく、よう、みんな彼氏に集められて〈高校三年生〉などを授業の合間や放課後に受験勉強なんかそっちのけで歌ったもんやて。あいつは今ごろ、どこでどうしているのか」
(そこで満は遠くの空を見るようにして、こう続けた)
「なのに(歌ばっか歌ってた)〝おしょう〟は東京の超難関私大にパス、オレは肘鉄でも食らうように蹴落とされ一時は心身ともに傷だらけになってしまい本当に悔しかった。でもな。今思うと、あのころ、みんなで共にうたった歌にどれほど慰められ、勇気と希望を与えられたことか」
満はこう述べると、こんどは美智の目をじっとみつめて口を開け、物語でも歌うように口ずさみ始めた。♪歌をうたっていたあいつ 下駄をならしていたあいつ 思い出すのは故郷の道を みんな一緒に離れずに ゆこうといったなかまたち……清らかな青春さわやかな青春 大きな夢があり限りない喜びがあった……
ここまで続けた満の両の目には涙が光り、頬には幾筋もの滴が伝って流れた。嗚咽する満。泣かないで、の声に涙をふくと、もいちど美智の顔を見て再び口を開いた。
「傷つきながらも俺は運良く受かった名古屋の私大に通学、再び柔道を始め今度は新聞記者の試験に奇跡的にパスして駆け出しの松本支局に着任。三年二カ月後に志摩半島に転任したが、十一月に阿児の志摩通信部に梢が着の身着のまま飛び込んできて、駆け落ち記者生活が始まった。あの時、和尚は心配してわざわざ俺たちを励ましに鵜方まできてくれた。あいつは、そういう男だ」
ここまで話しふと、われに戻った満は「あっ、すまない。ミチには関係ない話だった。悪い」と反省を込め、謝ったのだった。
ところが、美智の返答は「ううん、関係あるかもしれない。おおありよ」と思いがけないものだった。ベンチに腰掛け青い空を眺め、それまで黙って聴いていた彼女が立ち上がって口を開いたのは、その時だった。
「あたし、そのひと。知ってる。かも、ね。だって、あたしの社交ダンスのレッスン仲間で毎年春と秋の懇親会でみんなそろってカラオケに行くのだけれど、いつも決まって舟木さんの〈高校三年生〉を歌い、『昔な、俺たちの学校で〈高校三年生〉のロケがあったんだよ』というのが口癖の男性がいて。それに決まって〈仲間たち〉や〈君たちがいて僕がいた〉を歌い、情感がとてもこもっていて。うまいったら、ありゃしない。その彼氏に決まっているわよ」
満は一瞬、そんなことってあるのだろうか、とわが耳を疑ったのである。
美智が言うには「その方は、人望も厚く地元農協の組合長を長年務め、この間辞められた、このへんでいう〝えりゃあさん〟だったそうだ」という。確か和尚は大卒後、この地方を代表する私鉄に入ったがふるさとに尽くしたい―と自らの信念で農協に転職。その後はずっと地域社会の発展に貢献した、と風の便りに聴いていた。その和尚が、よりにもよって俺と同じ社交ダンスのレッスンに、それも美智とは同じサークルで打ち込んでいた、だなんて。どういうことだ。
満はなぜか運命の糸のようなものを感じ空に目を転じると、そこにはひと筋の飛行機雲が高く一直線に走り抜けてゆく姿が確認できた。美智が所属団体こそ違え、社交ダンスをしていたという。それも、あの和尚とだ。ルンバかワルツ、それともブルース、ジルバ、タンゴか。満は手繰り寄せられるような合縁奇縁を感じたのである。
(満が社交ダンスのレッスンを始めたのは、ピースボートによる地球一周の船旅で、であった=2012年8月。オーシャン・ドリーム号船上にて 撮影・たかのぶ)
美智は満が新聞記者時代に書いた多くの記事についての感想や少女のころの思い出については語ったが、詳しい私的事情となると、ただ信長がかつて愛した吉乃が住んでいた小折の生駒屋敷近くに住んでいるという以外には、あまり語らなかった。
いま。出来れば、この場で美智と踊りたい。満は自身の胸が火音を立て始めているのを感じた。目の前ではコスモスの花々が美しく咲き誇っている。
【10へ続く(不定期で連載していきます)】
著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
「ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。
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