連載小説『ぽとぽとはらはら』16

ぽとぽとはらはら 16
伊神 権太

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16

   一宮の萩原町。江南からは、それほど遠くはない。「高校三年生」を歌った舟木一夫さんが育ったところだ。かつて彼が亡き父の墓参りをした際、満は取材記者とカメラを伴って一度だけ訪れた。なたとしこさんには、その時にお会いした。あそこの商店街では昔懐かしい全国のチンドン屋さんが集結し年に一度、チンドンパレードが行われており、商店街には舟木さんを陰日向となって守り、助け続けた顔役らもいたはずである。
   一度訪ねてみなければ。

境内一角には北野天神社由来の説明板が掲げられ

合格祈願のお祈りをする女性も

百度岩が置かれている
(境内一角には北野天神社由来の説明板が掲げられ、合格祈願のお祈りをする女性も。百度石が置かれている=いずれも江南市の北野天神社境内で 撮影・たかのぶ)

   満はハンドルを手に学問の神様・菅原道真公で知られる名鉄江南駅東の北野天神社横の通りを走っていた。ここでは一月十八、十九の両日、第56回筆まつりがあり、市民にとっては自慢でもある長さ4㍍、重さ50㌔もある大筆が中央公園から同天神社まで引き回される大筆奉納行列が行われる。
   そして。北野天神社を横目にあれやこれやと思いを巡らすうち自身が全く別の、若いころの記者魂旺盛だった時に変身してゆくのを感じていた。と同時に、満が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」の例会の席で二十代の涼子に〝青春〟って。一体、何かな―と聞いた時に跳ね返ってきたことばを思い出していた。
   彼女はあのとき「〝青春〟ですか。その人が青春だと思ったときが青春だと思います。だから年齢に関係なく誰だって〝青春〟になれますよ」と。即座にそう言い切ったのである。そして。彼女は「いま。私、青春かなあ」と少し考え込み「まさか。青春はどこかに置いてきました、てんじゃ、なければ好いのですが」とも言い、満に視線を移して笑った。反射的に「だったら、オレはいま〝青春時代〟を生きているのだ」と思いつつ、笑みを返したのである。

   ところで満の〝青春〟。それは何か。
   今思えば、だ。柔道の稽古に明け暮れた中、高校、大学生のころは紛れもなく青春時代で、記者として社会に出たのちに信州は松本で梢と衝撃的に出会ってからもずっとその延長が続いている。そんな気がする。
   新聞記者の駆け出しとして出発点に立った松本支局時代。昭和47年2月、浅間山荘で起きた連合赤軍事件の取材で長野支局に何日もの間、応援に駆り出された、あの日。鬼の形相で長野中央署にしょっぴかれてきた連合赤軍の兵士たちを目の前にした時は、正直身がすくんだ。
   それからしばらくすると、満は次の任地・志摩半島を駆け回っていた。時の首相・田中角栄による日本列島改造論が叫ばれ、乱開発が進むなか、真珠の海・英虞湾で海の富栄養化現象が進みアコヤ貝がプカプカと浮き大量死していった。満は連日、舟をチャーターし真珠筏を目の前にした取材に明け暮れ、やがて沿岸の真珠養殖漁協が手を携えあっての「英虞湾を守る会」の誕生にもつながった。
   あのころ志摩通信部を守っていたのが親元から逃亡同然に満と駆け落ちし、通信部に居ついてしまった梢だった。満が取材に出ている間にあの鳥羽一郎さん(当時はまだ名もない若者だった)が何度も通信部に持ち歌の宣伝に訪れ、梢からは「早く紹介してあげてよ」と催促されながらも連日、英虞湾取材に追われ、とうとう無視してしまい、ただの一行も書かなかった。あのことは決して忘れてはいない。
   次いで着任した岐阜。ここでは田中角栄のロッキード疑獄と並び、地方では最大疑獄とされた岐阜県庁汚職事件の取材でそれこそ足を棒とし、訪中直前に任意出頭がかかった時のフィクサーだった県参事を新幹線羽島駅でつかまえインタビュー、その光景が社会面トップで写真入りで報道されたが、これら全てが青春そのものだったような、そんな気がする。

   〝青春時代〟は悲しいことばかりではない。
   岐阜在任時には、枯死寸前に陥っていた樹齢千数百年の淡墨桜(うすずみざくら。国の天然記念物)を生き返らせようと作家の宇野千代さんの提唱で薄墨桜顕彰保存会が誕生。以降は文人肌の知事平野三郎さん(故人)の号令もあって老樹の枝に支柱を施し、肥料を定期的に与えるなどした結果、老樹が奇跡的に息をふきかえした。
   あのとき、再生を祝う会が小雨が降るなか、根尾村板所(現本巣市)の桜のもとで開かれたが、千代さんが語ってくれたことば「ミツルさん。あたしはねえ。こうして雨にショボショボ濡れながらも、ものも言わず必死になって生き、ちいさな薄墨色の花を咲かせている。銀の涙のようなこのウスズミザクラが、とっても好きなの。あなたもやがて年を取れば、アタシの言っていることがきっと分かる。そう思うのよ」と語りかけてくださった。

奇跡の再生を遂げた根尾谷の淡墨桜

国指定天然記念物の説明板

作家宇野千代さんの生前の桜にたいする言葉と思い

(奇跡の再生を遂げた根尾谷の淡墨桜と国指定天然記念物の説明板、作家宇野千代さんの生前の桜にたいする言葉と思い 撮影・たかのぶ)
 

   そして。時の平野三郎知事が受託収賄容疑で送検され、失脚したその日。満は軟派(社会面)トップ記事を〈淡墨桜は泣いていた……〉と書き始めた。記事を書くうち満の目からは桜の再生にあれほどまでにかけていた平野さんに裏切られた。そんな気がしてたまらなく、原稿用紙の上に涙がとめどなく落ちていった。これだって、今から思えば、ほろ苦い青春のひとコマだったかしれない。

【17へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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