連載小説『ぽとぽとはらはら』15

2020年4月2日

ぽとぽとはらはら 15
伊神 権太

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令和2年。新しい年がいよいよ始まった=NHK「ゆく年くる年」から
(令和2年。新しい年がいよいよ始まった=NHK「ゆく年くる年」から)

   令和二年元旦。新春のうらびれた町・江南は雪こそ降らないが寒々と冷え切っている。昨夜はことし本堂の大がかりな建て直しが始まる、あの永正寺さんでも除夜の鐘がつかれ人々はそれぞれ万感の思いを胸に新年を迎えたに違いない。古知野神社で初参りをした満は、先ほどからこの町をほろ酔い加減のいっぱい気分でふらりふらりと、まるで宇宙遊泳でもするように目には見えない〝大気〟をひとひらひとひら、切り裂き、掻き分け歩いている。

阿吽の呼吸で初参り客を迎える〝ア〟と〝ウン〟の狛犬二体=いずれも古知野平和神社境内にて 撮影・たかのぶ

阿吽の呼吸で初参り客を迎える〝ア〟と〝ウン〟の狛犬二体=いずれも古知野平和神社境内にて 撮影・たかのぶ
(阿吽の呼吸で初参り客を迎える〝ア〟と〝ウン〟の狛犬二体=いずれも古知野平和神社境内にて 撮影・たかのぶ)

   足を踏み出しながら満はふと「届いた賀状のなかに書き逃しがあれば、すぐに出さなきゃあ。コラムもそろそろ書かなければ。脱原発社会をめざす小説はどうしようか」などと、そんなことを思いつつ思考は例によって飛んで、飛んで、また飛んでいくのである。
   あ~あ、なんたることか。どうしよう。そのとき、目の前に厳然と浮かび上がったのが、青春歌謡〈高校三年生〉を歌い、一世を風靡した一宮市の萩原出身歌手舟木一夫さんの追っかけをかつては自認していた詩人〝なたとしこ〟さんである。以前の賀状には確か「齢 八十歳にて 青春(はる) 呼吸ととのえ 駆け抜けたし 福井県坂井市 白﨑俊子(なたとしこ)」とあり、添え書きで「お元気ですか。相変らず詩を書いています。あの頃がむしょうになつかしく思われます。」とあった。なたさんについては前回も触れたが『虹を紡ぐ 舟木一夫 風、好きに吹け』の作者でも知られる。

   新しい年に入り、思うのは青春の大切さとでもいえようか。
   満はこの町で育ち、若き日々を過ごした。そして。舟木一夫さんらが自分たちの学んだ学園を舞台に当時、大ヒットしたばかりの青春歌謡「高校三年生」にちなんだ映画ロケに参加した事実。これは永遠に忘れられない。母校敷地内の自転車置き場などでロケが進んでいたその時こそ、満も〝和尚〟も、現役の高校三年生で大学受験を翌春に控えていたのである。
   後年、満が新聞社の一宮主管支局(現一宮総局)に在任していたころ、時の市長夫人(最初の市長はまもなく県知事になった)が二代続け熱烈なる舟木ファンだった。そればかりか、あのころ、それが日課のように連日支局を訪れ、世情について語るのが常だった(というよりは、いろいろ私に教えてくださった)のが、今は亡き当時の市議会議長三浦さんだった。その三浦さんが、歌手・舟木一夫さんの陰の支援者だったことを自認。「彼は歌手になりたくて。なりたくて仕方なくって東京に行ったのですよ。ワシャ、放っておけなくてね。よく陰で何度も支援したものですよ」とも語っておいでだった。

   時は流れて。一宮支局から満が新聞社の文化芸能局に異動してまもないころ。中日劇場で舟木さんの長丁場の公演があり、なかびの慰労パーティーが中日パレスで行われたことがある。その日、満は担当ではなかったものの、たまたま同席する機会に恵まれた。座もなごんだころ、満は「舟木さん」と声をかけてみた。「あの、舟木さん。あなたは昔、尾張の滝学園で〝高校三年生〟のロケをなさっていましたよね。姿美千子さんや高田美和さん、倉石功さんら青春スターが集結し何日もの間、ロケが続いていたあのころです。
   実はそのころ、ボクも〝高校三年生〟でして。だから、自分たちが受験戦争で追われているのに、と何だか反発というか、違和感のようなものを感じたことも事実です。もっとも、私はと言えば、そうした学園側の半ば押し付けともいっていい受験勉強には猛反発し柔道の練習に明け暮れる毎日でした。デ、私は柔道着を着たまま休憩時間などにロケが行われていた自転車置場近くの渡り廊下でその模様を、腕を組んでよく見たものです。内心で、受験校というのにナンデこんな時期にロケを認めるのか。それが不思議でしたよ」
   この言葉に舟木さんは「あぁ、そうでしたか。それは奇遇ですね」と真剣な表情で澄んだ両の目を私に投げかけてきたのである。

   満は続けた。
「でも、はっきり言って私の脳裏から離れないのは、舟木さんが自転車置き場で何度も自転車ごと転がる場面でした。なんで、あんなにも繰り返しやらねばならないのか。大学受験に落ちる気がして…」
   舟木さんはそこで少し考えるふうをしながら「ナンデだったのでしょうね」と首をかしげニコリとしたが、その笑顔がまさに青春に戻ったそのものの顔で満をドキリとさせたのである。満はそれ以上問うのはやめ、同じく首をかしげ「なんでだったんでしょう」と笑うと、舟木さんも「おかしいですよね」と言って笑顔を投げかけてきたのである。

なたとしこさん著による『虹を紡ぐ 舟木一夫 風、好きに吹け』と『瑠璃のゆくえ ―舟木一夫の雨情・夢二・八十世界によせて』=いずれも東銀座出版社発行 撮影・たかのぶ
(なたとしこさん著による『虹を紡ぐ 舟木一夫 風、好きに吹け』と『瑠璃のゆくえ ―舟木一夫の雨情・夢二・八十世界によせて』=いずれも東銀座出版社発行 撮影・たかのぶ)

   ――単線電車で十二、三分。……降り立った萩原町駅は、少し横に広がりをもった簡素な表情をしていた。(中略)
   駅を出ると正面に、この地を訪れた人への、精いっぱいの歓迎のアーチが立っている。
      駅の正面 右折して
      徒歩で六分 つきあたり

   以上は「虹を紡ぐ」の2話●萩原町の一節で作者が、舟木一夫さんが生まれ育った家を訪ねる場面のワンシーンである。

【16へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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