連載小説『ぽとぽとはらはら』22

ぽとぽとはらはら 22
伊神 権太

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22

   令和二年に入り、中国・武漢を発症源に始まった新型コロナウイルスの感染。満が独り勝手に名付けた〝コンコロコロナ〟による感染は、その後も日に日に世界全域に拡大化。3月14日の時点で感染者は124カ国と地域で実に14万720人(うち死者は5347人)となり、特にイタリアでは感染者の急増が目立ち、これまでに1万5113人が感染、うち1016人が死亡。コンテ首相は「外出は控えるように(居住地域外に出ることは原則禁止)」とイタリア全土での人の移動制限を国民に強く呼びかけている。また感染者が急増しつつある米国でも首都ワシントンや全米50州中、20州以上が非常事態を宣言。大変な事態に陥っている。
   ともあれ。この世の中、何が起きるか知れたものでない。このところは、テレビもラジオもニュースといえば、コロナウイルスの感染者がどんどん増えつつある現状と非常事態への対応を報じるものばかりで電源を入れれば、まずアナウンサーの話し初めからして「新型コロナウイルスの感染者は」といった調子で、それこそ満の言う〝コンコロコロナ〟〝コンコロコロナ〟の大合唱で、これはもう【コロナショック】だとも言え、ウイルスに対する恐怖心ばかりが煽られている。

 

新型コロナウイルスの感染拡大にピリピリ感とものものしさが漂う江南厚生病院正面入り口
(新型コロナウイルスの感染拡大にピリピリ感とものものしさが漂う江南厚生病院正面入り口 撮影・たかのぶ)

2階連絡通路は【封鎖】されている
(2階連絡通路は【封鎖】されている 撮影・たかのぶ)

 

   ここで満は待てよ、と思う。コロナウイルスの感染拡大化の分析とデータ収集、予防措置の徹底も大切なことだが。このままだと、俺自身が〝コンコロコロナ〟という現実に振り回されてしまう。ここは冷静に今生きていくうえで何が大切か、を考えなければ。満は、そう自問自答し自ら歩んできた道の軌跡をたどりつつ、彼にとっての永遠のテーマ〈人間とは(それは誰とて、いつも涙や笑いと共にあるのだが)〉につき、真剣に考え、残された人生を少しでも有意義に一歩でも二歩でも、前に出なくては。そのことを忘れてはならないと自らに言い聞かせ、十一日には9周年を迎えた東日本大震災の被災地の昔と今に思いをはせてみた。

   二〇一一年三月十一日の午後二時四十六分。三陸沖を震源にマグニチュード9・0、震度7~6強の巨大地震が起き、まもなく東日本一円の海岸線を大津波がのみこみ福島第一原発事故まで起こした。満は二週間後の三月二十六日早朝、一人の小説家、この世でただ一人の一匹文士(いっぴきぶんし)として東日本の被災地を自らの目で確かめ記録に残したい、との強い信念で自宅を出発。東北新幹線の行き止まりとなっていた那須塩原駅からは〝緊急〟とフロントに表示された臨時バスに乗り込み、郡山経由でいわき市へ、と向かった。いわきに到着後は街なかでやっと見つけたタクシーに乗り、運転手の協力もあって宿を探し回り辛うじて一軒だけ営業を再開したばかりの郊外ホテルを見つけて投宿。翌朝早く、前夜のうちに頼んでおいたそのタクシーで被災現場を訪れたのだった。
   あの日。満は、昭和の歌姫として活躍した故美空ひばりさんの歌声で知られる〈みだれ髪〉の舞台・塩屋埼の灯台を仰ぐようにして大津波にのまれ、ガレキの山と化し見るも無残な被災地を海岸伝いに小名浜から四ツ倉、豊間とただ黙々とひたすらに歩き、途中、何もかもを失い、放心状態で無言で歩く多くの人たちともすれ違った。
   そして。灯台直下の高台に立ち尽くし呆然と海を見下ろしていた、あの女性の声は今もはっきりと耳の底から聴こえてくるのである。
「アタシ、これまで、84年生きてきたが。あんな怖い体験は初めて。この辺りは人間も、猫、犬、家も、くすり屋、病院も。コンビニ、ほれっ、見て。漁港の岸壁、堤さえも。み~んな、根こそぎ波にさらわれ、持っていかれてしまった。砂と水のまざった、どす黒い津波が巨大な壁となって迫ってきたときにゃ、それこそ〝津波てんでんこ〟サよ。みんな命がけで高い方へ、高い方へと逃げたが、それでも多くが波にさらわれ、命サ失った……」
   あれから九年がたつ。

 

大津波にすっかりのみこまれた塩屋埼灯台直下の海岸線と復旧工事が始まったころの被災地

大津波にすっかりのみこまれた塩屋埼灯台直下の海岸線と復旧工事が始まったころの被災地
(大津波にすっかりのみこまれた塩屋埼灯台直下の海岸線と復旧工事が始まったころの被災地 撮影・たかのぶ)

塩屋埼灯台下の記念碑 今も健在だ
(塩屋埼灯台下の記念碑 今も健在だ 撮影・たかのぶ)

 

   デ、満は突拍子もなく「ところで、この町自慢といえば何があるのか。他に胸を張って誇れるもの、と言えば何なのだろう」。そう思って腕を組んで、行く末を考えてみる。藤の花に、織田信長、そして彼が愛した吉乃。曼陀羅寺。布袋の大仏さま。瀧文庫。木曽川は草井の渡し…あるある。あるじゃないか。青春歌謡「高校3年生」のロケ地となった母校だってある。
   ここで、満は、もう一度胸に手を当て静かに目を閉じてみる。そうだ。昔なら、まもなく満100歳になる母が雌雄を選別する鑑定士をしていた〝お蚕さん〟だって、あるではないか。ふと♪赤い夕日が校舎を染めて……、と口づさんでみる。意識はやはり満たち「二石会」のクラスメート一人ひとりと同じように青春時代の〈高校3年生〉へと戻っていくのである。登校時に下駄箱で会うのが楽しみだった春香―。他のクラスメートとて同じに違いないが。ボクたちにはあのころ、誰にも大きな夢と希望があった。あの日々に帰りたい。オレは帰りたい。

 

【23へ続く(不定期で連載していきます)】

著者・伊神権太さん経歴
元新聞記者。現在は日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。
脱原発社会をめざす文学者の会会員など。ウエブ文学同人誌「熱砂」主宰。
主な著作は「泣かんとこ 風記者ごん!」「一宮銀ながし」「懺悔の滴」
「マンサニージョの恋」「町の扉 一匹記者現場を生きる」
ピース・イズ・ラブ 君がいるから」など。

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